「フライトは長いし、着けば兵隊だらけで、銃を振り回してる。怖くてたまらないの」と、電話の相手に嘆くのは、世界的オペラ歌手でアメリカ人のロクサーヌ・コス(ジュリアン・ムーア)だ。1996年、南米某国。コスは副大統領邸で開催されるサロンコンサートを控えていた。この国の政府から工場誘致のために招かれた日本の実業家ホソカワ(渡辺謙)が、コスの長年のファンであることから企画されたのだが、フランス大使のティボー(クリストファー・ランバート)ら各国のVIPも招待されていた。
通訳のゲン(加瀬亮)を通してコスと対面を果たしたホソカワは、こよなく愛する「月に寄せる歌」を最後に歌うと聞いて感激し、最前列の席に着く。女神のように美しいコスの歌声に陶然としたその時、突然、銃声が鳴り響き、「我々は南リバタリアン運動の戦士」だと名乗りを上げながら、武装したテロリストたちがなだれ込む。彼らはマスダ大統領をとらえようとするが、大統領は直前に欠席を決め、その場にはいなかった。
邸内にいた全員が人質となったまま朝を迎え、赤十字国際委員会から交渉人としてメスネル(セバスチャン・コッホ)が派遣される。テロ組織のベンハミン指揮官(テノッチ・ウエルタ)は彼に、自分たちの要求は刑務所に拘束された政治犯全員の釈放だと告げ、女性と使用人の解放には応じたが、コスは「有名人だから」という理由で残される。その時、コスを心配して取り乱した伴奏者が、驚いた少年テロリストに射殺されるという事態が起きてしまう。
ホソカワはゲンを通してコスに、実は工場を作る気はなく、あなたの歌を独占できるという虚栄心から招待を受けたので、伴奏者の死に責任を感じていると伝えるが、コスは責められるべきは気乗りがしないのにお金のために来た自分のほうだと答え、互いをいたわり合うのだった。
膠着状態のまま1週間が過ぎた朝、政府は邸の水道を止めるという強硬策に出る。指揮官はコスに「人質が誰かを思い出させる」ために歌ってくれと頼む。悩んだコスは、ホソカワの「あなたの声は誰のものでもない」という言葉に励まされ歌うことを決意する。屋上から魂を込めた歌声を披露するコスに、テロリストと人質はひとつになって熱い拍手を送るのだった。さらに、その光景は集まったテレビ局によって全世界へと配信され、マスダ大統領の「人質の安全を最優先に」という声明と共に、邸への給水は再開された。
コスの歌をきっかけに、邸内の人間関係が大きく変わり始める。テロリストの少年がコスに歌を教えてほしいと願い、別の少年はティボーを父親のように慕う。さらに、コスの世話係になったカルメン(マリア・メルセデス・コロイ)が、ゲンにスペイン語と英語を教えてくれと頼む。教養に溢れ、人格者でもある人質たちに、テロリストたちが敬意と好意を抱くようになったのだ。いつの間にか共に食卓を囲むようになり、温かな絆も芽生えていく。だが穏やかな官邸の外では、もはや限界と判断した政府が、最後の作戦を実行しようとしていた─。
音楽や歌には心を結びつける力があるのだと改めて感じる。
このことがよくわかる映画。
愚かさ、慈しみ――人間という存在が愛おしくなった。
それこそがまさにベル・カントの神髄であり、このような奇跡をも生み出し得るのだと実感した。
違う立場の人達が向き合い、生活を共にする中に、幻のユートピアを見た気がします。
真実の愛を歌に託せば、全ての人に届くかもしれないという夢を抱いてしまうような。
それでも、私達は歌い続けるしかありません。絶望から希望へと。
ニュースでは水の上の氷しか見えない。その下の大きな真実。
さりげなく聞いていたセリフが見終わった後、水の中から浮かんでくるように心に残る。
相反する現実社会の中で、美しいメロディーは救いにはならなかったのか…。
心にずっしり響く物語でした。
心と心が寄り添うその温かな時間は、人種を飛び越え人間としての大切なものを
教えてくれる。宝物のような1本だ。
イデオロギーと芸術のはざまで育まれる愛と人間の絆に揺さぶられる。
生きた人の声は、歴史の闇に葬られる。映画はその闇に語らせようとする。
しかしそれは、真実を暴こうというジャーナリズムとは異なる。
もっと危うく矛盾に満ちたものに、映画は惹かれるのだ。
極限の状況だから、真の姿が見える。絆が結ばれる。
つかの間とわかっているからこそ、一緒にいる時間を大切にしたい。
心に響くのは至上の芸術、そして愛である。
言語と国を超えた愛と友情に満ちた感動作だ
ドラマのクライマックスに美しいアリアが重なり、その歌詞がオペラ以上にぐっと心に語りかける。衝撃のラストをも浄化するような、美しい歌が印象的!